アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

十牛図

十牛図の動画作りました

◎段階のない禅に段階を作る 水平の道と言えば、禅であって十牛図。 十牛図の絵柄と言えば、まず相国寺の周文の、そしてOSHOバグワンの十牛図がよくネットで使われている。 原作者の廓庵(かくあん)は中国宋代の禅僧だが、作った時は、段階のない禅に段…

十牛図-12

◎第十入鄽垂手(にってんすいしゅ) 【大意】『序 ひっそりと柴の戸を閉ざしていて、どんな聖者も、その庵の内を知ることはできぬ。自己の風光を隠すとともに、昔の祖師 (達磨大師など)の歩いた道をゆくことをも拒んでいる。徳利をぶらさげて町に行き、杖をつ…

十牛図-11

◎第九返本還源 【大意】 『序 始めから清らかで、塵ひとつ受けない。有相(あの世この世)の栄枯盛衰を観じつつ、無為という靜寂(ニルヴァーナ)にいる。 (有相とは不壊だから)空虚な幻とは異なる。だからどうしてとりつくろう必要があろうか。 川の水は緑…

十牛図-10

◎第八人牛倶忘 【大意】 『序 迷いの気持が脱け落ちて、悟りの心もすっかりなくなった。悟りの世界に遊ぶ必要もなく、悟りのない世界にも足をとめずに通り抜けなくてはならぬ。人と牛のどちらにも腰をすえないので、観音の千眼さえ、この消息を見抜けない。…

十牛図-9

◎第七忘牛存人 【大意】『序真理が二つあるわけではない。仮に牛を主題としただけだ。罠とうさぎが別物であるのと同じく、魚と網の別があるようなものだ。まるで純金が金鉱石から出てくるように、月が雲を抜け出るのに似ている。一筋の透明な月の光は、遠い…

十牛図-8

◎第六騎牛帰家 【大意】 『序 争いはとっくに終わって、捕らえることも放すことも忘れた。木こりの歌う村歌を口ずさみ、童謡を口笛で吹く。 牛の背に跨がり、目は雲のある空を見ている。牛も人も呼び返すこともできず、引き止めようもない。 頌 牛にまたがっ…

十牛図-7

◎第五牧牛 【大意】 『序(慈遠禅師) ある思いが起こるやいなや、後から他の思いがついてくる。 悟りにいれば真となり、迷いにいるから迷妄となる。心の外の対象のせいでそうなるのではなくて、わが心から生じているのに過ぎない。牛の鼻の綱を強く引いて、…

十牛図-6

◎第四得牛 【大意】 『序 長らく野外に隠れていたその牛に、やっと今日はめぐり逢った。 牛飼い人は四辺の美しい風景に見とれて、牛に追いつくことが難しく、牛もおいしい草むらが、気になって仕方がない。 人も牛も、頑な心が依然として奮い立ち、野性がま…

十牛図-5

◎第三見牛 【大意】 『序 牛の声をたよりに発見したルートに入り、目にしたその場で根源に出会う。 六つの感覚の各々が、まごう事なく、日常の動きの一つ一つがそれを現してくる。水に含まれている塩分や絵の具の中の膠(にかわ)のようなものだ。目をかっと…

十牛図-4

◎第二見跡 【大意】 『序 経典をたよりに、筋道を了解し、教えを学んで牛の足跡がわかった。様々の器物が、もとは同じ金属であることをはっきりさせ、万物が自分と同じであることを知的理解する。 足跡の正邪を判断できぬのに、どうして本物か偽物かを見分け…

十牛図-3

◎第一 尋牛 【大意】 『序(慈遠禅師) はじめから見失ってはいないのにどうして探し求める必要があろう。もともと覚めているその目を反らせるから、そこに隔てが生じるので、塵埃に立ち向かっている内に牛を見失ってしまう。 故郷はますます遠ざかって、別…

十牛図-2

2.覚者の生きる世界そこで認識を再確認しておかなければならないのは、窮極(仏、神、宇宙意識、なにもかもなし)と一体化した体験を持たない方が、『人は皆そのまま仏(神)である』と言う場合は、そのことを実証する体験を持たないので、嘘になる。他方…

十牛図-1

1.十牛図の考え方十牛図解説本を読むと、とにかく禅の坊さんが書くものだから、いきなり、牛は『本来の自己』とか『本来の面目』のことなどと書かれるので、何のことやら、早速さっぱりわからなくなるものだ。本を買ってきた手前、一応最後まで読むのだけ…