アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

只管打坐neo

道元が子猫を斬らず

◎禅マスター南泉の子猫斬り (2021-06-02) 猫はかわいいものだが、子猫は無邪気さが加わってさらにかわいい。 南泉が住職の寺で、ある時、東堂の僧たちと西堂の僧たちとが、一匹の子猫をどちらが飼うかについて言い争っていた。 そこに南泉がやってきて猫を…

只管打坐の7ステップ-4

◎絶対に買えない最高の逸品 (2007-10-27) ダンテス・ダイジは、身心脱落のことを「宇宙と一体という経験のみにとどまらない、全くの何の限定も受けない、空であるところの、唯一存在するところであるところの、あるいは唯一非在であるところの自分自身に目覚…

違いを理解できないもの

◎身心脱落と臨済禅 (2008-11-21) 何も事前の知識のない人々にわかりやすく説明するためには、違いを明らかにしなければならない。只管打坐ですら、道元とクリシュナムルティと老子は同じ境地を語っているらしいということはわかっても、クリシュナムルティも…

慧可断臂異説

◎ゲゲゲの女房など (2010-04-03) 上野の国立博物館のグッズ売り場は、スミソニアンやニューヨークのメトロポリタン・ミュージアムみたいに明るく開放的な売り場に変わってしばらくたつ。そこでは色紙の雪舟の慧可断臂図を手にとって買おうか、買うまいか迷う…

本気と情緒パワー-1

◎香厳の父母未生以前の境地(2005-08-14) 香厳は、師匠の大潙禅師に『父母未生以前の境地を体得して、一句もってこい』と命じられたが、できなかったので、長年集めた書物をすべて焼き捨て、寺の食事の給仕役をして年月を過ごした。 ある時香厳は、師匠の大潙…

始まりもなく終りもなく人間でもない

◎人なる周辺世界と冥想 『満月でした。長く仕切られたバルコニーから見る彼女は、ちょうど大きな樹木の上にかかって、澄み渡っていて綺麗で非常に近くに見えました。柔らかい静まり返った影が、数知れずできていました。非常に朝早いので街は沈黙していまし…

身心脱落の前兆

◎三種の吉兆 宝慶記は、道元が師匠の天童如浄の言行を書きおいたもの。 それに身心脱落の前兆とおぼしきものがある。 如浄が道元に語るには、 「あなたは、これから先、必ず美しく妙なる香気で、世間に比べるものがない香りをかぐであろう。これは吉瑞(よい…

クリシュナムルティも人の子

◎虚栄心 ある時、インドの有名俳優と女優がクリシュナムルティのところを訪れ、ランチを共にすることになった。女優の方は、映画スタートレック・ワンに出演することになっていた人で、映画出演のために豊かな黒髪を丸坊主にしなければいけないと語った。彼…

クリシュナムルティが潔癖性だったこと

◎聖者の弁別 ニルヴァーナを生きるクリシュナムルティなどにとっては、自分が殺されようが、傷つけられようがそんなことは、自分の知ったことではないというのが基本姿勢のはずだが、彼は潔癖性だった。 彼の専属の典座(コック)のクローネンがクリシュナム…

この世との折り合い

◎悟りのビフォー・アフター どんな高僧、善知識であっても、この世で生きていくからには、飯を食うために托鉢したり、御布施をもらったり、働いたり、炊事したり、衣服を洗濯したりしなければならない。つまり、世俗とどこかで折り合いをつけなければならな…

如浄、道元の只管打坐コンプレックス

◎日常の動作・挙措に及ぶ 天童如浄、道元と言えば、寝食の時間を惜しんでひたすら只管打坐したというのが、第一印象で、その他の冥想修行をしていないようなイメージがある。ところが実際は、天童如浄も師松源嵩岳の下でこそ只管打坐専一にやったようだが、…

正しい瞑想と沈黙

◎百年河清を待つ 1943年のクリシュナムルティからエミリー夫人への手紙。 この頃クリシュナムルティは、アメリカにいて、少なくとも一日二~三時間は冥想する生活だった。 『正しい瞑想というのは、まさにわれわれが経験できる最もたいへんな現象なので…

只管打坐の坐り方

◎普勧坐禅儀 『厚い座布団を広げ、その上に尻あての布団を使います。そこで結跏趺坐(両足のかかとの裏を組み合わせて坐る方法)、もしくは、半跏趺坐(片方のかかとの裏だけ重ねて坐る方法)に入ります。 結跏趺坐というのは、まず右の足くびを左の股の上に…

わびの美の七つの特徴

◎実用性の対極 これは、只管打坐的窮極である無一物から出て来るところの侘(わび)が七つに展開すると分析した久松真一の文。 『わびの美の七つの特徴 第一の不均斉は、格式ばったきちょうめんさ・端正・「真」の完全・つりあいのとれていることの美しさの…

道元禅師の坐禅箴

◎鳥飛んで鳥の如し 道元の有名な魚行って魚に似たり、鳥飛んで鳥の如しは、もともと、 「水清うして地に徹す、魚行って魚に似たり、 空闊(ひろ)うして天に透(とお)る、鳥飛んで鳥の如し」 である。 前段の現代語訳は以下。 『坐禅箴 宏智正覚禅師の『坐…

所有することは失うことである

◎勝者は常に恐怖の中にある 久々のクリシュナムルティ。 所有するということは、この世での目的追及の一つの始まりであるが、それには何がしかの暴力性がついてまわる。その暴力性は、ついには成功あるいは目的達成を勝ち取るが、それは滅びの始まりであり、…

曹洞宗と只管打坐

◎賭ける仏教=南直哉 南直哉氏は、曹洞宗の坊さんで、永平寺でも新進気鋭の坊さんとご近所で噂になっていた人。かと思えば、オウム事件で世の中がざわついていたとき、同教団幹部の○○に顔がよく似ていて、あらぬ誤解もされたらしい。 彼の著書「賭ける仏教」…

宮崎奕保禅師の悟り

◎ものは一つだと体が覚える 宮崎奕保(えきほ)禅師は永平寺の住職もなさった方で、先年108歳で亡くなられた。江戸期以前は当たり前だったが、昨今の僧としては珍しく生涯不犯。若い時分の結核のために片肺を失ったまま長寿の人生を過ごした。 NHKの方…

原田雪渓の身心脱落の説明

◎自分とものとがひとつになっている状態を自分で知る 道元の正法眼蔵でも身心脱落についてすっきり説明しているところはない。そこで曹洞宗の原田雪渓禅師の身心脱落の説明。 『ですから、眼耳鼻舌身意の六つの働きを、本当に働きのままにまかせておくことの…

ケン・ウィルバーの身心脱落

◎常に故郷にいる幸福 ケン・ウィルバーの日記から、 『身心が脱落するとき、そしてどこにも私が見つからないとき、光輝で果てしなく飾られた無限の<空>、根源的な<充満>がある。<私-私>は<コスモス>として開き、ここでは原初の<清浄>を汚すものはなく…

公案と只管打坐

◎道元の判定 正法眼蔵随聞記巻六で、侍者懐弉が、公案禅と只管打坐とどちらを好むべきでしょうかという質問をした。 道元は、 『公案を見ていささかわかったようであっても、それは仏祖の道に遠ざかるやり方である。得ることもなく、悟ることもなく、端座し…

本気と精神パワー

◎教えてくれなくてありがとう 香厳は、師匠の大潙禅師に『父母未生以前の境地を体得して、一句もってこい』と命じられたが、できなかったので、長年集めた書物をすべて焼き捨て、寺の食事の給仕役をして年月を過ごした。 ある時香厳は、師匠の大潙禅師に、と…

六祖慧能の思量しない禅

◎想念停止 非思量底の禅とは、道元のキャッチフレーズの一つ。道元以前にも思量しない禅が議論になった。 ある時薛簡が六祖慧能に対して、「首都の禅の先生方は、「仏法を悟るためには必ず坐禅しないとならない。坐禅しないで悟った人は、過去例がない」と主…